2015年12月8日火曜日

嵐のあと 前編

ずいぶんとご無沙汰です。

頭の中はまだいろんな感情が入り混じった、マーブル模様が渦を巻いている。





一年をかけて計画・準備してきたイベントを残り1週間に控えたある日の夜、
私は、義父との永遠の別れを突然、迎えることになった。

病院へ向かうタクシーの中で、本当にいろんなことが頭の中をかけ巡った。


家族からの病院に来てほしいとの電話を取ったのは、
私ではなく旦那様だったので、
どのくらい重篤な状態なのか、わからないのでした。

だから病院の救急搬送先で、すでに心拍がない様子に、愕然とした。
そばに寄り添う家族の姿、
自分の母親をなくした時も夜だったなぁって
頭の奥でもうひとりの自分が泣いてた。


嫁いできた私を本当に可愛がってくださった、紳士的なお義父さん。

私自身、実の父親と関係がうまく行っていないので、
なんだか歯がゆくて、どう答えていいか、
少し戸惑いながらも嬉しかった。

お義父さん、ありがとうございました。




そして悲しみに浸る間もなく、遺された家族にはお通夜やお葬式の段取り・準備。

それから、頭をよぎるイベントの参加についての不安。
真っ先にイベント実行委員のリーダーには伝える。

3日間ほど、リーダーには心配をかけたけど、
なんとかイベント出席できそうになった。

心配かけてごめんなさい、Yさん。
本当にありがとう。




自分のFBタイムラインにもそれらしいことを書いておく。
私のタイムラインをチェックしている友人には、それで伝わるなら十分。

すれ違いで読むことができなくても、それでいいと思ったし、
興味がなくてもともと私のタイムラインを読んでいないなら、
それはそれでいいと思っていた。

無理してアピールすることじゃない。
できれば察してそっとしてほしい。
それができないなら、いつもと変わらないままがいい。
思い出すと本当に泣きそうだったから。





走り抜けるように2日間でお通夜・お葬式を済ませ、
役所やその他の手続きを1日だけ、お手伝い。

もっとそばにいたかったけど、
自分の仕事に穴をあけるわけるわけにはいかない。
一年かけて準備してきたイベント、参加できるなら無理してでも参加したい。



イベントに参加できるのは確定しても、
肝心のイベント準備はまだ大事な商品リストや値札つけがまだ手つかずの状態だった。

ディスプレデモをイベント開催2週間前に済ませていたことが、
あの時は自分で「少し早くない?もう一回、やり直そうか」と考えて居たけど、
あれはあれがベストタイミングだったのね。
神様ありがとう。

そして、2日間、いや1.5日で残りの作業を終わらせる・・・
私、やればできる子だね!って少し自分を自分で褒めてみる。



自分のブースのプチプレゼントに用意した、小さなフォトフレーム10枚。
しっかり準備して、箱に入れたところは覚えているのに、
その箱をどこにしまいこんだか、まったく思い出せない。

自分が若年性認知症かもしれないと、
本気で心配になり、病院に行くことも真剣に考えるくらい悩んだが、
なんとかイベント前に見つかった。

若年性認知症じゃなくて本当によかったと、
わけのわからない安堵感とともに、イベント搬入の準備する。



さらに1年に1度、あるかないか、旦那様の出張が搬入と重なる・・・なんてこった。
普段にはあり得ないくらい、違和感満載の夜。

こうして、イベント搬入が完了するのでした。

・・・つづく

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